2026.02.28
コラム
ヒノキの木材が採れるまで

苗木を育てる戻り苗の木鉢には、苗木が戻る場所である、和歌山県田辺市で採れた紀州材のヒノキを使用しています。
それは、戻り苗を通して、森づくりに関わって欲しいという思いはもちろん、
「これが日本の木材なんだ」とわかった上で、触れてみてほしい。
また、森林環境だけでなく、そこで営みを行う林業の世界にも興味を持って欲しいという思いもあります。
この記事では、ヒノキという植物についてお話ししていきます。
皆さんの目の前のヒノキの木材が、どのように生き、どのような人の手を辿って、そこにあるのかをお話できたらと思います。
ヒノキという木
ヒノキは、常緑針葉樹(真っ直ぐに伸びる一年中緑の木)という種類で、
針葉樹自体は恐竜が生まれる前から地球に存在すると言います。
また、日本においては、100年以上前に書かれた「日本書紀」にも登場し、
スサノオノミコトが自分の体毛を抜いて木を作ったという神話があります。
「スギとクスノキは舟に、ヒノキは宮殿に、マキは棺にせよ」
というような記述があり、古代からヒノキは最高級の建築材として位置づけられていました。
飛鳥時代の法隆寺など、世界最古の木造建築群がヒノキ造りであることは、当時の技術者がその優れた耐久性を
すでに理解していた証といえるでしょう。
現代でも全国で生産され、多くが建築材として活用されています。
関東までくらいであれば、森に行けば大体どこでも見られると思います。
50年ほど育ったヒノキは20メートル程度の高さになり、これは7階立てのビルくらいの大きさです。
ペリペリと剥がれそうな樹皮をしていて、小さな鱗が重なり合ったような、平べったい形をしています。
ぜひ森に訪れることがあったら探してみてください。

和歌山のヒノキ
和歌山県においては、江戸時代、徳川の紀州藩のもとで植林が本格化しました。当時、大火が多かった江戸の町で、火に強く高品質な和歌山の木材は「紀州材」として人気を誇り、船で大量に江戸へ運ばれていたといいます。
和歌山県は、県土の約80%が森林ですが、人工林(人が管理している山)に占めるヒノキの割合が高く、全国的にはスギが多い中で、ヒノキが約55%とスギを上回っており、「ヒノキの国」ともいえるかもしれません。
ヒノキは大体50~60年で使いどきを迎えます。皆さんの木鉢のヒノキも、その辺りに植えられたもの。
ビートルズが世界を席巻して、東京で初めてオリンピックが開催され、高度成長の中でマイホームを手に入れることが夢だった時代。「うちはヒノキの柱だよ」と言えることが、家族にとって誇りだったと聞きます。
一方植林作業においては、今でこそ少しずつ機械化が進みつつありますが、当時は手作業でした。
和歌山の斜面は、本当に急ですから、今のような機能性に優れた装備などもなく、
苗木を担いで斜面を登り植えてくれていたと思うと…もはや想像の域を脱します。
植えた後も、節のない綺麗な木材が採れるようにと、草刈り・枝打ち・間伐と60年もの間、人が関わり続けてきました。
たった30年しか生きていないMODRINAE事務局の私たちにとっては途方もない時間。
顔も名前もわかりませんが、未来のためにと育ててくれたものなのだと思います。
木鉢も苗木と同じくらい愛でてほしい
戻り苗を開発した当時、森林課題の解決につながるのであればと、間伐材や端材の活用も検討しました。
しかしやはり、この木々を長い間育ててきてくれた人たちが、本当に見せたかったものを使いたいと思いました。


途方もない時間をかけて大切に育てられてきた木材が、戻り苗を通して「誰かにとっての初めての国産材」になってほしい
――そう願って選びました。
木材の柄として現れる年輪。
茶色い線は冬の間に成長した部分で、その茶色に挟まれた白い部分は夏の間に成長したものです。
ただの模様に見える一本一本が、成長の証なのです。
木の質感に直接触れてほしいという思いから、戻り苗の木鉢には塗装を施していません。
汚れますし、日焼けもします。そもそも木材は、製造過程でも乾燥させる必要があり、割れやすいなど扱いづらい面もあります。
それでも、生きていた素材であることは、木材だけが持つ魅力だと思います。
紙やすりで削れば、何度でも滑らかな木肌と甘い香りが戻ってきます。
一本の苗木を育てる2年間だけでなく、何度も何度もその木鉢で苗木を育て、大切に持ち続けていただけたら嬉しいです。
